紙をこする鉛筆の音が、最初は弱く鳴る。描き続けるうちに音は強くなり、二人で漫画を作り始めると重なる。時代が進めば、デジタルペンのタップへ変わる。
2026年の実写映画『ルックバック』で、是枝裕和監督が重視した音だ。
是枝監督が映画化を決めた理由は、2021年に原作を読んだ時の経験にある。コロナ禍で映画制作が止まり、仕事の意味を考えていた時にこの漫画と出会い、もう一度映画を作ろうという気持ちが戻った。藤本タツキに感謝を伝え、自分は映画監督だから映画で返そうと考えたという。
実写版で採用した表現は、その動機とは分けて考えると分かりやすい。4人の俳優は漫画を描く練習をし、その絵の一部が劇中で使われた。撮影隊は藤本の出身地である秋田県にかほ市で1年を通して四季を追った。
最初は2021年のウェブ読み切りだった
『ルックバック』は、藤本タツキが2021年7月19日に「少年ジャンプ+」で発表した読み切り漫画だ。
小学4年生の藤野は、学年新聞で4コマ漫画を連載している。そこへ、不登校の同級生・京本が描いた4コマが載る。京本の絵を見た藤野は練習へ打ち込み、やがて二人は一緒に漫画を作り始める。
二人の関係は、描く行動とともに進む。相手の絵を見て悔しくなり、机へ向かう。二人で同じ原稿を仕上げる。読者は完成した漫画だけでなく、描き続ける背中を見る。
2024年には押山清高が監督、脚本、キャラクターデザインを務め、スタジオドリアンが劇場アニメを制作した。押山監督は公式コメントで、アニメーションの世界にいる絵描きとして、自分だから作れる映画を目指したと説明している。
その2年後、是枝監督の実写版が公開された。出口夏希が藤野、蒔田彩珠が京本を演じる。子ども時代の二人は七瀬ふうりと岡田六花が担った。
是枝裕和は原作に背中を押された
是枝監督が原作を手に取ったのは2021年ごろだった。映画化する漫画を探していたのではなく、書店で背中が描かれた表紙を見つけたことがきっかけだった。
当時はコロナ禍で、関わっていた映画制作が止まっていた。世界が非常事態に陥った時に映画にはどんな意味があるのか。そう考えていた時に『ルックバック』を読み、もう一度作ろうという気持ちが戻ったと、2026年9月のヴェネチア国際映画祭で話している。
その後、藤本と会った是枝監督は、作品を作ってくれたことへの感謝をまず伝えた。K2 Picturesが9月8日に公開した会見記録では、感謝を形にするなら、自分は監督なので映画にしようという流れになったと説明している。
この発言が「なぜ実写映画にしたのか」への監督自身の答えだ。ペンの音や四季の撮影は、映画化を決めた後に選んだ表現になる。
ペンの音が二人の成長を伝える
漫画では、紙に引かれた線を読者が見る。実写版では、線が生まれる時の音も聞こえる。
是枝監督は会見で、ためらうように弱く鳴っていたペンが、やがて迷いなく力強い音を出し、二人分に重なり、デジタルへ変わると説明した。音の変化を通して、漫画の作り方と二人の成長を描いたという。
出演者は撮影前から本当に漫画を描いた。出口は撮影開始の4か月前から練習したと話し、七瀬と岡田も練習を重ねた。3人が描いた絵の一部は劇中で使われている。蒔田が演じる京本の大学時代の絵は、専門家が描いた絵の上から本人が筆を入れた。
にかほ市で四季を追った
主な撮影地は秋田県にかほ市。藤本タツキの出身地でもある。
四季の撮影経緯は、K2 Picturesの会見記録に是枝監督と小出大樹プロデューサーの発言として載っている。小出プロデューサーは、作品が1年を通して四季を追えたと話した。
是枝監督は、映画化の企画書に、にかほ市で四つの季節、言い換えると四種類の光を撮り、その中で二人の成長を捉えると書いたと説明した。最初の約束どおり春夏秋冬を撮っていったん撮影を終え、出演者へ花束を渡した後、冬と春をもう一度追加撮影したという。
撮影にはフィルムを使った。監督は同じ会見で、色より光の変化をフィルムで撮って作品へ収める意識を、撮影監督の上野千蔵らスタッフと共有したと話している。
アニメ版と何が違う?
原作、劇場アニメ、実写映画は、藤野と京本が漫画でつながる筋を共有する。作り手が選んだ表現は異なる。
押山監督はアニメーターであり、絵描きとして原作へ向き合った。是枝監督は、俳優が描く手、紙から鳴る音、にかほ市で変わる光を撮った。実写映画の中にはロトスコープによるアニメーションもあり、二人が思い描いた将来を動く絵で見せている。
アニメ版と実写版は、同じ筋を別の方法で見せる。押山監督は線を動かし、是枝監督は俳優が描く動作と、その場で鳴る音、1年の光の変化を撮った。
是枝監督が『ルックバック』を実写映画にしたのは、原作からもう一度作る気持ちを受け取り、藤本へ映画で感謝を返そうと考えたからだ。完成した映画では、4人の俳優が描く手、変わっていくペンの音、にかほ市で追った四季が、その選択を支えている。
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