配信ページにある「四世片岡亀蔵」という名前。ここで数えているのは、「片岡亀蔵」という同じ芸名を名乗った人の順番だ。四代目片岡亀蔵は、その名を継いだ4人目に当たる。
歌舞伎では、代々受け継ぐ芸名を「名跡」と呼ぶ。役者が名跡を継ぐことが「襲名」だ。名前には、先代たちが得意とした役や演じ方も結び付いている。観客は新しい役者の顔を見ながら、以前の亀蔵が積み重ねた芸も思い出せる。同じ名前は、芸を次の人へ渡したことを知らせる目印になっている。
片岡二郎が8歳で「四代目亀蔵」になった
四代目片岡亀蔵は1961年、五世片岡市蔵の次男として生まれた。4歳だった1965年12月、片岡二郎の名で初舞台を踏む。1969年11月、歌舞伎座の『辨天娘女男白浪』で丁稚三吉などを演じ、四代目片岡亀蔵を襲名した。8歳のときだった。
父は「片岡市蔵」、本人は「片岡亀蔵」を継いだ。兄も市蔵の名跡を継いでいる。この家族を見ると、家族の世代数とは別に、芸名ごとに数字が進むことがよく分かる。「四代目」は亀蔵の列で4番目という意味になる。
亀蔵は2025年11月に亡くなった。存命中の公式プロフィールは「四代目」、2026年の特別配信ページは「四世」と記している。歌舞伎を扱う媒体では、存命の役者に「代目」、故人に「世」を使うことがある。二つの表記は同じ役者を指す。
名前を継ぐと、何まで受け取る?
国立劇場の解説では、名跡と一緒に芸風や得意役も受け継がれる。歌舞伎には、同じ役でも家や師匠によって演じ方が異なる「型」がある。せりふの言い方、動き、衣裳、場面の見せ方まで、稽古を通して先輩から後輩へ渡される。
だから大きな名跡には、幼い時の名から上位の名へ進む流れがある。市川團十郎家では、新之助、海老蔵、團十郎と順に襲名するのが現在の通例だ。改名の回数は、役者が成長の節目を観客へ知らせる仕組みにもなっている。
名前が同じでも、歴代の役者は別人だ。新しい当代は、受け取った型や役を自分の身体で演じる。観客は先代と比べながら、その名を継いだ人がどう育つかを見ることができる。
「松島屋!」は亀蔵の別名?
片岡亀蔵の屋号は「松島屋」だ。名跡が個々の役者の芸名なのに対し、屋号は一門や一家の呼び名を指す。
江戸時代の役者は苗字を公に名乗れなかったため、商家のような屋号を使った。客席から掛かる「成田屋!」「音羽屋!」といった声の多くは、この屋号である。「松島屋!」と声が飛べば、舞台にいる亀蔵個人を呼びながら、その役者が属する一門も示している。
ここで三つを分けると迷いにくい。「片岡亀蔵」が名跡、「四代目」がその名を継いだ順番、「松島屋」が一門の屋号だ。
血のつながった子だけが継ぐの?
親から子への継承は多い。ただ、歌舞伎の芸は師匠から弟子へも伝えられてきた。歌舞伎俳優名鑑は、血縁がなくても、芸風や役者ぶりが名にふさわしい人が継ぐ場合があると説明している。長く使われなかった名跡が復活する例もある。
早稲田大学演劇博物館の児玉竜一教授は、戦前までの名優には養子が多かったと紹介している。坂東玉三郎や片岡愛之助が通った「部屋子」も、家に生まれていない子役や弟子を、芸を継ぐ家族として育てる仕組みだ。
血縁は幼いころから舞台と稽古に触れられる経路になる。養子や弟子にも、師匠の芸を受け取り、名跡を継いだ例がある。歌舞伎の「家」は、戸籍上の家族と、芸を教え合う師弟関係が重なってできている。
襲名披露はいつから大きな行事になった?
同じ名前を継ぐ習慣は江戸時代からあった。商人や大きな農家も代々同じ名を使っていた。現在よく見る華やかな襲名披露は、戦後に形が整った部分も大きい。
歌舞伎俳優名鑑によると、歌舞伎座の興行名で「襲名披露」を前面に出した例は、1951年の六世中村歌右衛門襲名披露から確認できる。大勢の俳優が舞台に並ぶ口上や、街を歩いて新しい名を知らせる「お練り」を伴う大型行事は、1962年の十一代目市川團十郎襲名披露以降に広がった。
襲名披露では、新しい名前を名乗った役者が歴代の当たり役を勤め、先輩俳優が口上で観客へ紹介する。名前を変えた事実を発表する場であり、その名前に結び付いた芸を誰が受け持つのかを、舞台で見せる場でもある。
四代目片岡亀蔵の「四代目」は、亀蔵という名跡の4人目を数えている。亀蔵は片岡二郎として初舞台を踏み、8歳でその名前を受け取った。名跡が芸名と役や型を結び、屋号が一門を示す。歌舞伎が同じ名前を継ぐのは、誰がどの芸を受け取ったのかを、観客が名前からたどれるようにするためだ。
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